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福袋

新年を無事に迎えることができて、ありがたいことです。
年賀状やあいさつなど
健康が一番
新しい気持ちで
無事迎えました、と言うのに
いつの間にか贅沢や不満が出てきてしまうわたしたち・・

初心で。
初心のままで過ごしたいです。

年が明けて
ウォーキング始め・・がてら
ついでに福袋を買いました。
ひとつはハマっているベーグル専門店のもの。
元旦のお昼から
ベーグルやベーグルドックを食べて
大好きなお雑煮も早々に切り上げてしまった。

続けて
ウォーキングがてら(笑
カルディの福袋を購入。

お目当ては外のバッグだったりしますが
これは福袋に入っていた干支のもの。
抹茶入り煎茶のティーバックとのこと。

和デザインのプチお正月気分は良いわー。
こういうとき、たくさん量があるものより
5個とかすぐになくなってしまうほうが季節感や
時節を楽しめていいと思います。

福袋の袋は・・
洋のような和の干支もの。



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冬の花

店先で見かけた
冬の紫陽花。

秋色紫陽花のような
ドライフラワーチック枯れの
紫陽花も味わい深いけれど

アナベルなのか
こんもり丸い
可憐な花

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秋の組曲

先日(11月9日)の
国民祝典( 正式には「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」 )
が 行われていたとき観ていたCS放送のニュースが
いつの間にか皇居からの中継になっていました。
偶然にも生中継で観ることができて感動しました。

今年は令和元年なので、お祝い行事が続き
普段耳にしないことばも飛びかいます。
翌日の祝賀パレードも「祝賀御列(おんれつ)の儀」
世界のお客様を招いた「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」というように。
使い慣れないことばだからなおさら
「儀式」として厳かな気持ちになるように思います。
時代を遡って思いを馳せて。

国民祝祭の曲はとても感動しました。
ひとときのコンサートホールとされた皇居前広場。
特別な場所で 特別なとき 空の下。
演奏された、奉祝曲 組曲「Ray of Water」

はじめから涙が出てしまって
辻井伸行氏のピアノが入り、ピアノソロになり、また涙。
ピアノが入った時の切ない旋律。たまらなく切ない。
ピアノソロでの高音で小鳥がついばむような演奏。
第三楽章「Journey to Harmony」の嵐の歌声でまた涙。
あの歌詞は泣いちゃいますね。
自分のことで精いっぱいになってゆとりがないこともあるけれど
まわりの誰かが笑っていてくれることが
自分の幸せにもなる。
誰かを励ますことは自分も励ますこと、、
なんて気持ちになってしまいます。

奉祝曲 組曲「Ray of Water」の3部構成
天皇陛下の長年の研究分野である「水」をテーマにした
オーケストラ演奏の第一楽章が「海神」
辻井伸行氏がピアノ演奏で加わった第二楽章が「虹の子ども」
第三楽章が「Journey to Harmony」

秋の夜に溶けてゆく音の重なり。
祝典の厳かさと、みんながひとつになること。
特別な 奉祝曲と最高の奏者 。
やっぱり、いつもとは違う気持ちで聞いているから
感じるものも違うのかもしれません。

特別な機会の夜の組曲。
同じように気持ちを新たにするひとときは何度でも訪れてほしいと思います。


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およそ宇宙の神秘なんてあまり考えないのですが
月は惹かれるものがあります。
太陽ほど光の主役ではないかもしれませんが、闇夜を照らすほのかな道しるべ。

太陽より月
華やかな花より月見草?と
太宰治なのか野球の野村氏なのか。

考えてみると、かつて学生時代に太宰治論などと卒論を書き、
旧仮名づかいの全集を手に入れたり
太宰の足跡を訪ねて河口湖近くにある、御坂峠「天下茶屋」に行ったり
取材の真似事をしたことがある。

月見草

富士には月見草が よく似合ふ

太宰治「富嶽百景」 より

天下茶屋に滞在していたときに書いた「富嶽百景」。
有名な太宰のフレーズ。
実は月見草ではなく、黄色いオオマツヨイグサかマツヨイグサだったとのこと。

宵待草(マツヨイグサ)

「月のかたち」というと
どんな形を思い浮かべるでしょうか。

絶えず変化して見える月のかたちに
古い昔から季節や暦を重ねて思いを巡らせて来たことでしょう。
歌を詠んだり、お月見をしたり。
月は夜に見るものだから余計に風流で日本人好みなのかもしれません。

風流心が足りないのか
私は月というと満月を思い浮かべます。

webデザイン “月や”と決めるにあたり
まあるく
平和であってほしい
満ち欠けのように一周回って戻ってきますようにと
願いを込めました。

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嵐のあと

自宅の前には貯水池があって、転居の際に多少は心配した。
それでも、相当深いところに溜めるようになっているので、あふれることはないだろうと思っていた。
先日の台風19号はの際は、TVや報道での緊迫した様子に、まさかと窓から貯水池の様子を見ていた。
台風が過ぎ去る少し前に覗いてみたところ、水面が貯水池の上のほうまで来て、道路の高さに近づいていてびっくりした。

今年は特に災害が多く、大変な思いをしたかたも多い。
まさかと思っていた貯水池でも水位が上がったのだから、川の近くや山の近くにお住まいのかたは心配されたことでしょう。
被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げます。

それ以来、貯水池の水位や様子を気にして見ている。
深く掘ったため池部分を囲むように遊歩道の橋が架かっていて、散歩などで通る人もたくさんいた。
先日の台風では遊歩道の鉄の手すりあたりまで水が来て見えなくなっていた。
今では以前のように水鳥たちが鉄の手すりを止まり木にしている。

のどかな風景を見ても、台風の水面のことは忘れてはいけないと思う。
それでも、何事もなかったような水鳥たちはなんとものどかである。

ひとは自然のなかに生きているのだろうか。
自然に逆らって生きているのだろうか。
嵐のあと、我が身ひとつの水鳥はいつもの日常に溶けている。